2005年03月21日

会津戊辰戦争の史跡を訪ねる

常磐西線 会津磐梯山
写真左:3月20日 まだ雪の残る会津を訪ねて旅に出ました。郡山までは東北新幹線で、ここから常磐西線に乗り換えて会津若松へ向かいます。旅情たっぷりなローカル線の旅です。 写真右:車窓から見える磐梯山。雪原の向こうにそびえる磐梯山の雄姿は雄大で、会津へ来た実感がこみ上げてきます。
会津若松駅前 ボンネットバス
写真左:会津若松駅前。白虎隊士の像がお出迎えです。 写真右:市内を巡回するレトロ調のボンネットバスで、飯盛山に向かいました。
旧滝沢本陣 自刃白虎隊士の墓
写真左:飯盛山下にある旧滝沢本陣。ここに本陣を構えた会津藩主松平容保は、慶応4年8月22日劣勢挽回のためここから運命の白虎隊士中二番隊に出陣命令を下しました。 写真右:白虎隊19士の墓。飯盛山で自刃した20士のうちのひとり「飯沼貞吉」は、奇跡的に蘇生して助けられ、隊士の自刃までの一部始終が後生に伝えられることになりました。
会津武家屋敷 西郷頼母一族の墓
写真左:忠実に復元された会津藩家老西郷頼母邸。慶応4年8月23日、西軍は怒濤のごとく会津城下に進攻してきた。その時ここ西郷邸では西郷頼母の妻千恵子はじめ一族21名は、「いたずらに籠城して戦の足手まといになるよりは」と覚悟を決め、急を告げる早鐘のなかで潔く自刃していった。 写真右:会津若松市の東北、西軍が砲台を築いた小田山の麓に「名刹祥雲山善龍寺」があります。ここは西郷一族の菩提寺であり、自刃した21名の墓もここにあります。
鶴ケ城天守閣 西郷邸跡
写真左:鶴ケ城天守閣。一ヶ月にわたる籠城戦にも耐えた鶴ケ城も、明治元年9月22日ついに降伏開城となり、その後明治7年に天守閣も解体されたが、昭和40年に再建されました。 写真右:西郷邸跡 甲賀通りに面して西郷頼母邸があったところです。会津戦争最後の降伏の式はここの前の甲賀通りで行われました。 投稿者 tommy : 2005年03月21日 22:38 | トラックバック
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